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コラム3

コラム3

『◯◯だからではなく、◯◯として』

突然ですが、ご兄弟はいらっしゃいますか?

最近は一人っ子の方も多いかもしれませんが・・・。

例えば、お兄ちゃんなんだから、我慢しなさい!

妹なんだから、おさがりで我慢しなさい!

この”◯◯だから”が、くせ者です。

社会人になれば、なおさら、”新人なんだから”、とか、”役職者なんだから”・・・とか。

家庭では、”男なんだから”、とか、”長男なんだから”、とか。

ただ、言わんとすることは理解できる気がします。

お兄ちゃんだから、先輩だからと、人ぞれぞれ立場や役割があることを。

この◯◯だからの、行き着く先は、”〜しなければいけない”と決めつけられていること。

『◯◯だから、〜しなければいけない。』という方程式。

そこで、◯◯だからではなく、”◯◯として”と考えてみてはどうだろうか?

兄として、どうすべきか?

兄弟喧嘩をしている時に、叱るにしても

お兄ちゃんなんだから、妹に優しくしなさい(優しくしなければいけない)。

ではなく、

兄として、妹にどう接するべきなのか?という考えを持って叱ることができます。

”◯◯として”では、自分自身がどうあるべきか。という考えが反映され、

”◯◯だから”よりも、本質を捉えることができるのではないでしょうか?

もし、一緒にその問いを考える時には、本人(ここでは、兄)にも主張の自由が与えられる

ような気がします。

そうなると、その主張を全うしたいという気持ちにならないでしょうか?

理学療法士として、どうあるべきか?

自身の考えや哲学を当てはめてもらいたい。

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